るーむ私記

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【映画】ニンフォマニアック vol.2 感想

 映画「ニンフォマニアック vol.2」の感想です(1も含めたネタバレ有)
vol.1の感想
 ジョーが子供を産み育てているらしい、ということに動揺を隠せないままvol.2へ。
 ここで回想時のジョーの女優さんがシャルロット・ケンズブール氏に交代します。
 あまり俳優さんに詳しくない・興味も薄かったので初見では気付いたら老けていたと思いましたが、転換はここだったみたいですね。

 レストランでスプーンを挿入する遊び。
 大抵の思い付く性的な遊びはやっている、ということでSMへの前振りだったのでしょうか。

 SMについては清潔感があってなかなか好きなシーン。vol.2に収録はされていますが、vol.1とvol.2の繋ぎ目という印象です。
 ただ、最後のサイレント・ダックについてはよく分かりませんでした。あれは必要なシーンだったのでしょうか。

 SMとの前後関係が曖昧なのですが、確かこの辺で黒人兄弟とのシーン。
 当然ながら彼らの会話には字幕がないので、観ているこちらとしても不安を覚えました。
 男性同士のいざこざが始まって、面倒になって退出するのがいたたまれない。観ていてストレスが掛かりやすいシーンなので、あまり気に入っていません。

 ジェロームと息子を失ったジョー。
 職場からの命令で性依存症のセミナーに行くことになりますが、性を喚起するものを排除した結果、父との記憶があるアルバムしか残らなかった。
 父親との記憶だけがジョーにとっては唯一清いものということですね。
 記憶が正しければソリティアをやっていたのもこの時。vol.1で「母はソリティアが好きなつまらない女」とあるように、性を抜いたジョーの人生は空虚であることを示しているのだと思います。

 借金取りに転職したジョー。
 車を焼くシーンは印象的でしたが、だからこそもっと観たかったなーと思いました。

 自分でも知らなかった少年への情欲を暴かれたセヴェリンへジョーが口淫を為すシーンはちょっと驚きました。ジョーの行動と心情から見れば自然なのですが、撮るのかこれを。
 モザイク越しだし実際に口でしたとは限らないか……? と思っていたのですが、監督のウィキペディアによると撮影中に本番行為があったらしいので、これも多分そうなのかもしれません。
 このシーンでのセリグマンの反応については後程。

 後継者として育てた彼女「P」との関係に物語は移ります。
 ジェロームとの時を想起させるような「蜜月」。当然のように蜜月は終わりを迎え、殺害に失敗し、ジェロームからは暴力、Pからは尿を受ける……そして回想は終わり。

 回想を語りながらも精神が不安定になりつつあったジョーでしたが、全てを語ることでセクシュアリティの排除を決め、安心して眠りに就きます。
 ――ここまで観て、「面白い映画だったけどこのまま終わったら駄作になりそう」と思っていたのですが、ちゃんと予想通りに予想を裏切ってセリグマンがジョーで欲を満たそうと現れてくれました。

 女性経験がなく、情欲もないと語ったセリグマンのこの行動について。
 セリグマン自身が語るように、まずジョーは経験が豊かであり、行きずりの相手と寝ることもあった人間です。なので、ジョーと交わることは容易いと、ある意味でセリグマンはジョーを軽視していたというのが一つ。
 また、セヴェリンの話の際にセリグマンは強い嫌悪を示していました。セリグマンが嫌悪したセヴェリンを属性で見るなら「小児性愛」「同性愛」です。セリグマンにとって、この二つは嫌悪すべきものだったと見るべきでしょう。
セリグマンの嫌悪の対象が同性愛なのかホモセクシャルなのか微妙なのですが、ここでは同性愛と仮定して勧めます。ホモセクシャルだけの可能性もあると思います)

 ジョーは50歳なので彼女に情欲を抱いたり交わったりすることは「小児性愛」には当てはまらず、セリグマンは嫌悪や抵抗を感じない。
 また、ジョーはPと同性愛関係にありましたが、同性愛はセリグマンの嫌悪の対象である。
 嫌悪する同性愛を知っているジョーを、セリグマンは軽んじている可能性が高い。

 この辺のことが合わさってセリグマンは行動したのかな、というのが私の考察です。

 そしてラスト。
 ジョーが銃の安全装置を外し、映像は暗転。セリグマンの台詞の後に銃声、そして忙しない足音と誰かが出て行く物音。エンドロールで映画は終了。
 結構暗闇の時間が長いんですよね。長すぎの感すらあります。
 何か理由はあると思うので考えてみたのですが、普通にジョーが「先の分からない絶望に戻された」ということなのでしょうか。
 心に決めたセクシャリティの排除は不可能だと思い知らされ、これからもセクシャリティに追われながら生き続けなければならない……というようなことだと私は受け取りました。

○総評
 アート寄りのポルノなのか、ポルノ寄りのアートなのか――そんなことを思いながら視聴した本作。
 私的には「表現の過程にポルノを必要としたアート」という所でした。
 決して人に勧めやすい作品ではありませんが、強烈だからというだけでなく心に強く残る作品でした。

 ところでこの作品「ソフトコア版」と「ハードコア版」があるような話を聞きかじりました。
 私が観たのはどちらだったのだろうか。年齢制限もあったし、多分ハードコアだとは思うのですが。